過剰な太字
最近、技術文書やビジネス文書で太字が頻繁に使われているのをよく目にする。著者が重要だと考えるところを強調しているのである。LLMもこのやり方を取り入れ、広く普及させているようだ。だが、ほとんどの場合、逆効果である。著者が強調表現を使えば使うほど、その効果は薄れていき、いずれはまったく効果がなくなるだろう。
単語やフレーズを強調する方法には、太字、イタリック体、大文字、下線などがある。このなかで過剰に使用されているのは太字だろう。大文字を多用していると「叫んでいるのか」と批判され、著者の思考の質までも疑問を抱かれるようになる。下線はハイパーリンクとして定着したので、強調表現としてはあまり見かけなくなった。大文字と下線はタイプライターや手書きでも表現できることから、安易な強調表現だと思われている。一方、太字とイタリック体はワープロの登場以降に使用可能になった表現である(読者の大半はワープロが登場した頃を知らないほど若い世代だろうが)。
イタリック体は控えめな強調表現である。文中で使っても目立ちすぎることがない。だから、長い文章の流れのなかで、区別したいところに用いることができる。フレーズを強調するときも、文章をじっくり読んだときにだけ効果が感じられる。こうした理由から、私は強調表現にはイタリック体を使っている。だが、めったに使うことはない。その段落を口頭で伝えたときに、その単語を強調することが本当に重要だと思われるときに限られる(なお、私は常に話すように文章を書こうとしている)。
太字の最大の利点は、読者が文章を精読せずに眺めているだけでも目を留めてくれることだ。これは重要な特性だが、その効果が発揮されるのは控えめに使用したときだけだ。見出しが太字になっているのは、長い文章を読む人に見出しを確認してもらいながら、読みたいセクションを見つけてもらうことが重要だからだ。
私は文中で太字を使用することがほとんどない。太字はできるだけ節約したいからだ。ひとつだけ太字を使いたいところがある。それは、これから説明する未知の用語を強調するときだ。これはGiarratanoとRileyの著作から着想を得たものである。未知の用語が再び登場したとき、私はその意味を思い出せないことがよくある。そうしたときにページを戻って太字の箇所を探せば、すぐに思い出せるのである。用語を説明しているところを太字にするのがポイントだ。基本的には(常にではないが)最初に登場したときに太字を使う1。
重要な文を太字にして、流し読みしているときでも目立つようにする方法がある。確かに効果はあるが、使いすぎると逆効果になる。重要な文を目立たせたいなら他にもやり方がある。たとえば、コールアウト(囲み注釈)がいいだろう。読者の注意を引くことができるし、本文とは別の表現ができる。本文の流れに合わせて注釈を入れるよりも適切な表現が使える。
特殊な用途としては、箇条書きの項目の最初の部分だけ太字にするというのがある。これは箇条書きの見出しと言えなくもないが、すべての文章に見出しが必要なわけではないし、箇条書きにしている時点で十分に目立っている。なお、箇条書きは使われ過ぎだと思う。私は箇条書きではなく文章を使うように心がけている。そのほうが流れが自然だし、読者にとっても読みやすい。重要なのは読者に快適な体験を提供できるような書き方をすることだ。読者に何かを説明したいなら、なおさらである。
この文章を書きながら、自分の言いたいことを過剰な太字で強調したい気持ちになった。過剰な太字の問題点を示し、太字を使いすぎると効果が失われ、読者の注意を引きつけられなくなることを実演できればと考えた。だが同時に、私は自分の立場を明確に説明したいとも考えた。太字の問題点を実演していると、私の説明が伝わらなくなるのではないかと感じた。そこで、最後の段落だけ装飾することにした(実際、このような過剰な太字が使われた文章を見たことがある)。
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たとえば、新しい用語が列挙されて登場することがある。例:「我々はこのプロセスを3つのステップで実施する:frobning、gibbling、eorchistingである。」この場合、ここでは太字を使わずに、用語を説明するときに太字を使用する。 ↩